2006/5/1

 

夢の地 3

 

 

「お名前をお聞きしてもいいですか?」
 顔をあげたユーザと名乗った青年が、再び聞いてきた。
「えっ…」
「一人でこんなところを旅しているのですか?それとも外に連れの方が?」
「えっと…いや、あの…」
 夏野は焦った。まさか本当のことを言うわけにはいかない。とっさについて出た言葉は…。
「覚えてない」
「はい?」
 嘘だった。絶対すぐにばれると思いながら、驚いたような青年の表情が夏野の舌をさらに饒舌にさせた。
「何も覚えてないの。気がついたらこの先の草原で倒れてて、だからここがどこかわからないの」
「…それは記憶喪失ということですか?」
「そうなのかな…」
 嘘がばれる不安から夏野の返答はたどたどしくなる。それをどう受け取ったのか青年は眉根を寄せて考え込んだ。
「何も覚えてないんですか?」
「…えっと、少しだけ」
「何を覚えています?」
 青年は以外に冷静だ。
「と、名前は夏野。17歳。あと…」
「あと?」
 どうしようかと少し迷ってから。
「對って名前。それだけ」
 夏野は對の名前を出した。なぜ彼のことを言ったのか自分でもわからなかった。夏野自信認めたくなかったが初めての場所で不安だったのかもしれない。
「さっきここがどこかわからないって言ってましたね。ここはヒーズ・ハンデルの西部、ザム公国とユサムとの間にあるカバス地帯と呼ばれる場所です。この名前を聞いて思い出すことはありませんか?」
「ヒーズ・ハンデルって?」
「ハンデル大陸中央部のことです」
 思い出しましたか?と青年は期待に満ちた声で尋ねてきたが、夏野は首を振るしかなかった。記憶喪失でもなんでもなく本当に知らないのだから思い出せるものなどあるはずがない。
「そうですか」
 青年は困ったように呟いた。
「あなたの名前を聞いた限りでは、この辺の出身のようには思えません。もっと東方か、スジャナ・ハンデルの方かと…」
「ぐぎゅる〜」
 突然、奇妙な音が青年の言葉を遮る。
「えっ…え〜!」
 その音の正体に一拍経ってから気がついた夏野は恥ずかしさのあまり叫んだ。まさか、こんな状況で盛大にお腹を鳴らすなんて。信じられない。あまりのありえなさに見る見る顔が赤くなってくる。
「…食事をしましょうか」
 夏野の顔色がわからない青年は、くすくすと面白そうに笑いながら言った。
「えっ、いや、大丈夫…」
「いいえ、そろそろ食事の時間ですから。ちょうど良かった」
 真っ赤になりながら否定する夏野をいなしながら、それでもなお青年はおかしそうに笑い続けていた。

 神像が置かれていた部屋の隣には小さな部屋があった。神殿の管理者が使っていたと思われる寝室。今はもう古びた暖炉と壊れかけた小窓しかない暗い部屋だ。その暖炉にユーザは火をたいた。ほんの少しぎこちない動作で、それでも的確に作業を進めていくユーザの姿は目が見えないようには思われない。不思議に思って本当に見えないのかと聞くと、ユーザは困ったように苦笑した。
「生まれたときから見えてなかったわけではないので。今も完全に視力がないのではなく、非常に見えにくいというぐらいです」
「非常に見えにくいってどのくらい?」
「残念ながらあなたの顔をはっきり見ることはできません。ただ、物が明暗で見えるので。強い光なんかはなんとなくわかりますが。やぱり、見えないのとあまり代わりがないかもしれないなぁ」
 上手く表現できないと首をかしげるユーザ。鍋に水を入れながらふーうんと夏野は頷いた。よくはわからないが見えにくいのは確かなのだろうと勝手に納得する。水を満たした鍋を火にかけると、ユーザはそれに携帯用の干し肉を入れた。それから乾いた豆のような物体をいれ味付けをする。鍋は他の部屋にあったものを持ってきたが、肉や豆はユーザが用意していたものだった。彼はもともとここで一夜を明かす予定だったらしく、余分に食料を準備していた。
「ここは神殿なの?」
 ふと、夏野は先ほどの光景を思い出した。
「ええ。バスラ教という古代信仰のね。今のヒーズハンデル西部ではバディストゥータと呼ばれる神が主に信仰されているのでバスラ教は廃れてしまいましたが」
「あなたは信仰しているの?そのバスラ教を」
 ロウソクに灯されたナフビ神像の姿を思い出して夏野は首をかしげた。あのときのユーザはナフビ神像に祈りをささげているように見えたのだ。
「えっ?私はトゥータの信徒ですよ」
「だって、さっきナフビ神像に祈ってたでしょ」
 不思議そうに眉根を寄せていたユーザは夏野の言葉にああ。と頷く。
「ナフビ神はバディストゥータの原形といわれている神です。巷ではそう言うことも忘れられ、ここのように打ち捨てられてはいますが。たまに私のようにナフビ神に祈りをささげに来るものもいます。あっ、できました」
 温かいスープを差し出しながら、ユーザは見えない瞳で微笑んだ。

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