2006/4/29

 

夢の地 2

 

 

 そこは静かでひっそりとしていた。黒ずんだ石の床に自分の靴音だけが響くのが気味悪い。建物の内部まで入っても人一人おらず、夏野は先ほどの危惧が無駄であったことを知った。もとは白かったであろう壁や床の石も、汚く黒ずんで、廃墟間が漂っていた。
「それにしても、すごい建物」
 ゆっくりと周りを見回して、夏野は呟いた。彼女は今、城壁に囲まれていた縦長の建物の中にいた。天井は体育館のように高く、内部には何もなくてがらんとしている。大きなアーチ状の窓からは、赤い残光が入り込んでいた。数メートル離れた先に木造の扉がついている。どうやら、もう一つ奥に部屋があるようだ。
 キョロキョロしながら扉に手をかけると鍵はかかっておらず、鈍い音をたてて動いた。
 扉の奥へ足を一歩踏み入れた瞬間。
 夏野は息を呑んだ。
 小さな部屋には窓一つなく、漆黒の闇の中に無数のロウソクが並んでいた。ロウソクのぼんやりとした光が、正面にある石像を浮かび上がらせている。それは人間の形をしていた。男か女かはわからない。美しい顔の造形は女のようであるが、首から下の造形はどちらでもなかった。
「…なに…」
 思わず呟いてしまうほど、夏野はその美しさに目を奪われていた。いや、暗闇に浮かぶ幻想的な風景にかもしれない。
「なんなの、これ」
「ナフビ神像です」
 突然ふってわいた声に、夏野は心底驚いた。もう誰もいないと安心しきっていたのだ。
「打ち捨てられた古代の神の一人ですよ」
 声の主はたいして離れていない場所にいた。石像の前で膝をつき深く首を垂れていた影がそれだっただ。夏野は石像に気をとられ、人がいたことにまったく気がついていなかったのだ。
「ここを目指してこられたのでないとしたら、道にでも迷われましたか」
 ゆっくりと声が立ち上がる。
 逃げなければ。
 思いと裏腹に、夏野の足は一歩も動かない。次にくる声の反応に怯え、夏野は固く目をつぶった。
「よろしければ道をお教えしましょうか」
 声が振り返ったのが衣擦れでわかる。しかし。何秒待っても何の反応もなかった。驚いたような、慌てたような言葉もない。
 (なんで?)
 不思議に思って瞳をあける。
 最初に見たものは、白っぽい布地だった。それが服だとわかったのは目線を上に向けてからだ。
 目の前には一人の青年が立っていた。前髪だけ少し長くとられた限りなく銀に近い金色の髪と、驚くほど整った顔の彼は、夏野より頭一つ分高いところから、薄い黄色の瞳で夏野を見下ろしていた。
「どうかしましたか?」
 じっと見つめている夏野に、青年は困ったように首を傾ける。夏野が無言でいるとさらに言葉を付け足した。
「私はユーザ・ナディリアといいます。あなたは…?えっと、女性ですよね?」
 青年の妙な問いに夏野は思わずむっとした。まるで、自分が女に見えないようではないか。自慢じゃないが、生まれてこのかた男に間違えられたことはない。しかも、制服を着ていて。そんなだから、つい返す言葉にも力が入ってしまう。
「私、男みたいに見える?」
「すいません。そういう意味ではなくて…」
 怒りを含んだ夏野の声音に気がついて、青年は慌てたように言った。
「私は目が見えないんです。」
「えっ?」
 夏野は慌てて青年の瞳を見た。薄い黄色の瞳はまっすぐに自分を見つめていて、焦点がずれているようには見えない。
「先ほどの声から女性だとは思っていたのですが確信がなくて。失礼なことをいって申し訳ありませんでした」
 そう言って、青年は頭を下げる。その仕草にも、目が見えないようなところは一つもなかった。

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