2006/04/29

 

夢の地 1

 

 

 いちばん最初に感じたものは痛みだった。閉じた瞼を貫くような痛みに我慢できず、思わず瞳を開けて即失敗だったと後悔する。目を焼くような日光を直接受け、夏野の視界は真っ黒になった。
 (あーあ)
 と、声にならない言葉を脳内で反芻し、夏野はしかたなくしばらく待った。視界が戻るまで。再びゆっくりと目を開けると、すかした手の隙間から真っ青な空が見えた。
「キレイ」
 思った言葉は自然に口からあふれていた。
 自分の呟きに後押しされるかのように、ゆっくりと起き上がる。視界が波のように揺れて。青空の下には緑の草原が広がっていた。
 起き上がってはじめて、夏野は自分が少し丘になった木の根元に倒れていたことに気がついた。
「ここは…」
 初めて見る場所。澄み切った空気。野の香りを運ぶ風。記憶のかけらにさえない空気。
「ドコ?」
疑問を口にして一拍たってから。唐突に夏野は思い出した。
「私来たんだ」
 言葉にすると全ての記憶が蘇ってくる。夏野は望んでいた。ここへ来ることを。
そして今。夏野は望みの地にいるのだった。

由岐夏野。十七歳。県立高校に通う現役高校生だった。昨日までは。

 夏野は無言で歩き始めていた。ここがどこかはわからなかったし、行く当てもなかったが、いつまでも草原でぼうっとしているわけにはいかない。ここがどこかは知らなかったが、自分がいた場所と異なることは知っていた。
(もう少し情報を仕入れていたほうがよかったかな)
 と思ったものの。夏野はすぐに頭を振った。
 彼が、深水對が教えてくれたはずがない。彼が自分に向けて言った言葉といえばたった一言。
―来る気があるなら何も持たないで、明日来い―
 だけだった。
 だから夏野は何ももって来なかった。今着ている制服以外は。
襟と袖の折り返しが特徴的なブラウスに藍色のリボン。襞がついた黒色のスカート、同じ色のパンプス。冬にはこれに金ボタンがついた黒色のジャケットを着る。大して興味のないいくつかの高校から今の学校を選んだのは、この制服が気に入ったからだった。けれど、それもここでは邪魔になるだけだろう。
 つらつら思いふけりながら歩いていると、いつの間にか草原は消えていた。そこから先はなだらかな傾斜になっている。傾斜の先には、先ほどの草原とは程遠い赤土の荒涼とした大地が広がっていた。その大地の上に、一つの建物が建っていた。 それは、縦に細長い建物を中心に、まわりを回廊のように城壁が取り囲んでいる。赤土の中でそれだけがポツリと建っている姿が如何にも奇妙だった。
「どうしよう…」
 夏野は考え込むように少し首をかしげた。先ほどから不安に感じていたことだが、空に浮かぶ太陽は急激に傾き始めていた。もうすぐ日が沈むのだろう。何も知らない場所で夜を過ごすのは不安だ。
 けれど。
「むやみに近づくのも危険かもしれない」
 夏野は考えた。ここがどこかはわからない。對はこう言っていた。
―別の場所へ連れて行ってやると―
 對が言った「別の場所」の意味はまだ良くわからないが、自分が知らない世界へ来たことは確かだった。そんな場所で、迂闊に人が―ひとまず深水對は人間のようだったから、人はいるのだろう―いそうな場所に行っていいのだろうか。
 そのまま迷うこと数分。夏野の心の天秤は、建物の方へ傾いた。とりあえず、様子を見に行こうと決めたのだ。奇妙な建物への好奇心も少しあったかもしれない。
 拳を握り締め、力強く頷いて、夏野はそろりそろりと建物へ近づいていった。

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