2006/7/2

 

夢の地 6

 

 

 先程上がったばかりの太陽はもう空高く浮かんでいた。ここまで透き通るような空の青さを、夏野は今まで見たことがない。
「何か?」
 天を仰ぎ見る夏野をユーザが振り返った。それに夏野は首を振ることで答えた。しかし、すぐにユーザの瞳が見えなかったことを思い出し、言い直す。
「なんでもない。空が青いなと思って」
「今は、夏季だから」
 夏野に習ったようにユーザも空を仰ぎ、それから、夏野を振り返った。
「マントは暑いでしょう?」
 夏野は今、ユーザのマントを借りて羽織っていた。大きな白い布で作られたそれは、首元と腰帯でとめられるようになっており、フードもついている。夏野には大きすぎるが、日差し除けだと渡されたので、腰紐で調整して着ていた。ユーザも同じものを羽織っている。夏野が借りているのはユーザが防寒具として持ち歩いている予備のものだった。
「デシャテはもうすぐですから」
 ユーザの言葉にあいまいに頷きながら、夏野は暑くてもこの方が好都合だと感じていた。足元まで隠れる長いマントは夏野の服装を隠してくれる。
 ユーザに軽い仕草でうながされ、夏野は再び歩き出した。一歩を踏み出すたびに足元の赤い土が鳴る。
(なんで言葉が通じるんだろう) 
 今更のように夏野は思った。出会った時から、ユーザとは何の違和感もなく意思の疎通ができている。
(この場所でも日本語が使われているのだろうか?)
 首をかしげながら考えたが、なんとなく日本語とは違う気がする。そもそも、日本語がどんな言葉だったかが思い出せなかった。日本語がどんな言語であったのかが言い表せない。夏野にわかることはユーザの言葉が何の問題もなくわかる、その事実だけだった。
(そういえば、深水君もちゃんと日本語話してたよね)
 今朝の夢で見た、深水對の顔が浮かんできた。
 逃げたいのかと聞いてきた深水。
 なぜそれに答えたのか。
 夏野には今になってさえわからない。
 それでも、彼の言葉が夏野の心の琴線にひっかかったのは確かなこと。
 だから、後悔するつもりはない。
 くっと、手のひらを握って。ふと、顔をあげた夏野の目に、陽炎のような物体が飛び込んできた。その物体に夏野は思わず声を上げた。
「ユーザ…あれ…」
「そろそろ見えました?」
 振り返ったユーザは微笑んでいる。
 赤土の上に突如現れた陽炎。それは明らかに、巨大な城壁を持った街の姿をしていた。


 デシャテはユサム国では最南端の街である。カバス草原を隔てて、ザム公国と最も近接した位置にあるため、何度か領土争いに巻き込まれた歴史を持つ。街としてはさほど大きくはないが、国境付近の街の特徴である異常に頑丈な城壁をそなえていた。
 ユーザは夏野を連れて、一軒の宿屋に入った。赤い鳥の看板がかかっているその宿は、ユーザが先日から泊まっている宿なのだという。
清潔だが古びた生地の椅子に腰掛けた夏野の前には、一枚の紙が広げられていた。ユーザが用意したヒーズ・ハンデルの地図だ。丸められて型がついたその紙には、逆三角形型の大陸が描かれていた。逆三角形の大陸の上部と下部は地図の枠外に消えているが、そこからは、アデ・ハンデル、スジャナ・ハンデルと呼ばれる地域なのだそうだ。逆三角形の大陸、ヒーズ・ハンデルには小さな字がたくさんふられていたが、夏野には一文字たりとも読めなかった。言葉はわかっても、文字までは読めないようだ。
「これが、ヒーズ・ハンデルの地図ですが…」
 そこで、ユーザは言葉を切った。夏野が何か思い出さないかまっているのだろう。
「文字は読めますか?」
 数十秒後。何の反応も示さない夏野にあきらめたのか、ユーザは聞いた。
「ううん。読めない」
「ヒーズ・ハンデルの中でも、字が読めない人はたくさんいます」
 言外に気にするなという意味を込めて、ユーザは言った。それから地図の上下を確認し、説明を始める。文字の下には指で確認できるように凸状の印がついている。
「ここが、今いるユサム国です。中央にあるのがイザ砂漠。それを超えたこちら側がヒーズ・ハンデル東部です」
 動かされるユーザの指先を目で追いながら、夏野は初めて見る大陸を注視した。
「東部にあるのはダルティーニ、エディタ、サランの三ヶ国です」
 ユーザの示した場所には、確かに三つの国が描かれていた。
「ごめんなさい。何もわからない」
 ユーザが聞いてくるよりも早く夏野はそう言った。どんなに待たれても思い出すことなどないのだから仕方がない。
「そうですか」
 眉間に軽くしわを寄せながら、ユーザは少し落胆したように呟いた。

 

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